初代タイガーがデビューした、1981(昭和56)年、当時のプロレスに関する専門誌は

「ゴング」「別冊ゴング」(日本スポーツ出版社)
「プロレス」「デラックス・プロレス」」(ベースボール・マガジン社)

となります。それぞれの特色は以下の通り。

初代タイガーの試合は「別冊ゴング」「プロレス」の6月号に掲載されています。

今回、この文章を書くにあたって、当時の雑誌を改めて見てみたのですが、当時の月刊誌は、およそ半分を占めるモノクロページをインタビューやシリーズ展望、小説、海外レポートなどの読み物が占めていました。
主にカラーグラビア、モノクログラビアに試合レポートが書かれていますが、掲載されている試合数も今の週刊誌ほど多くありません。時にはカラーグラビアのトップ記事が企画物になっていることがあり、トップレスラーの試合もタイトルマッチやリーグ戦の公式戦、スペシャルマッチのような注目される試合が掲載されるぐらいで、中堅レスラーになるとタイトルマッチなどのよほどの試合でないと掲載されない、または掲載されても数枚の写真のみといった感じでした。

その中で、モノクロでありながら、両誌とも2ページも誌面が割かれているといった点では、やはりマスコミとしても評価の高かった試合となるのではないでしょうか。

別冊ゴング 81年6月号(日本スポーツ出版社)
プロレス 81年6月号(ベースボール・マガジン社)

その中で、モノクロでありながら、両誌とも2ページも誌面が割かれているといった点では、やはりマスコミとしても評価の高かった試合となるのではないでしょうか。

ただ、どちらもタイガーの正体を「佐山聡ではないか。」と半分バラしてしまっています。昔からのマニアックなファンは、薄々気付いていたようですが、タイガーからプロレスファンになった子どもたちは、「佐山聡」の存在など知っているはずも無く、また専門誌も読んでいないであろうため「正体不明、謎のマスクマン」という響きをその後も信じていました。

アニアは大体分かっていたと思うと、その後の異常なまでの徹底した正体隠し(タイガーが話すときにはスペイン語を使ったり、マスクを作る女性が採寸する際に目隠しさせられたという話もあったりします)も、何だか笑ってしまいますね。