初代タイガーマスクがデビューした1981年(昭和56)はプロレス界の歴史の中でも、大きな事件が数多く起こった年とされています。

当時のプロレス界は、新日本、全日本、国際の3団体が存在していました。ただ、国際は(時期は違いますが)新日本、全日本と選手の貸し借りをするなど提携していたことや、決定的なスターが不在だったということもあり、実際には新日本と全日本の2団体がライバルとしてシノギを削っていたことになります(国際は8月に崩壊しています)。

そんな中、81年5月に、全日本の看板外国人レスラーであった、アブドーラ・ザ・ブッチャーを新日本が引き抜きました。当時は、ライバル団体として争ってはいましたが、相手の看板外国人レスラーを引き抜くことはタブー視されており、激怒した全日本が報復として当時の新日の看板外国人レスラーのタイガー・ジェット・シンを引き抜き、「仁義なき引き抜き合戦」が繰り広げらました。

ちなみにこの引き抜き合戦は、新日本がタイガー戸口、ディック・マードックを引き抜き、全日本がチャボ・ゲレロを引き抜きましたが、最終的にスタン・ハンセンを引き抜かれた新日本が白旗を揚げる形となりました。

そんな中で行われた、新日本の10・8蔵前大会ですが、先に全日本が「創立10周年記念大会」を10月9日に蔵前国技館で行うことを発表したことを受け、新日本がその前日に蔵前大会を急遽ねじ込み、興行戦争を仕掛けたということです。これも当時のイケイケの新日本を象徴するエピソードと言えますね。

結果として、両団体の所属日本人レスラーに加え、新日本にはラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍、ハンセン、ハルク・ホーガン、ビリー・クラッシャー(マスクド・スーパースター)、バッドニュース・アレン、ディノ・ブラボーなど、全日本は、ドリーとテリーのザ・ファンクス、ブルーザー・ブロディ、リック・フレアー、ハーリー・レイス、ミル・マスカラス、シン、上田馬之助、ジミー・スヌーカ、ザ・デストロイヤー、ブルーノ・サンマルチノなどといった豪華メンバーが、この2日間の蔵前国技館に揃ったことになります。

この豪華メンバーが揃った興行戦争は、レギュラーの専門紙でも報じられていますが、別冊ゴングは増刊号を出して報じています。

別冊ゴング11月号増刊(日本スポーツ出版社)

タイガーの試合も見開き2ページで、またバックステージの様子も報じられています。

別冊ゴング11月号増刊(日本スポーツ出版社)
別冊ゴング11月号増刊(日本スポーツ出版社)

80年代半ば頃から、専門紙が週刊化し、試合結果の速報性が重要視されたり、団体が増えてレギュラー誌ではページが足りなくなったりしたことから、大会やシリーズごとの増刊号が出されるのはさほど珍しくはなくなりました。

しかし、当時は大会ごとの増刊号はほとんど無く、それだけ注目された大会だったと言えるでしょう。