1972年3月6日、大田区体育館で旗揚げした新日本プロレス。その10年後の1982年3月6日、場所も同じく大田区体育館で創立10周年記念大会を開催します。
メインでは旗揚げメンバーの3人、アントニオ猪木、藤波辰巳、木戸修がトリオを結成し、ディック・マードック、トニー・アトラス、デビー・オハノン組と対戦。タイガーはグラン浜田と一騎打ちを行います。
記念すべき大会ですが、何故かこの日はノーTV。このような大会であれば現代でしたらネットでの動画配信、一昔前なら後日DVDやビデオソフトによる販売などもあったでしょうが、当時は一般家庭へのビデオデッキの普及率もそれほど高くなく、大会をパッケージしたビデオなどは存在しませんでした。
また、前夜祭のようなワールドプロレスリング内のダイジェスト放送も無く(テレ朝も収録しなかったのでしょうか)、この日の様子は新聞や専門誌などでしか、知ることは出来ませんでした。
しかし、この大会にもマニアの方による生撮りが存在し、幸運にも見ることができるのです。
現代では、会場における動画撮影は禁止されていますが、当時はビデオデッキ同様ビデオカメラもそれほど普及していないため(もちろんスマホやケータイもありませんから)簡単には撮影はできないこともあってか、撮影に関してはそれほど厳しくなかったようです。
まずは浜田が入場。
続いてタイガーが入場しますが、タイガーのセコンドにはカール・ゴッチが付きます。
試合開始から、両者一歩も引かない一進一退の攻防が繰り広げられます。
場外に落ちたタイガーは浜田にプランチャを決めます。
先にリングに上がったタイガーはエプロンに上がってきた浜田にハイキック一閃!浜田は勢いよく吹っ飛びます。
これで浜田は流血。再びリングに上がってきた浜田に攻撃を加えるタイガーですが、浜田の流血に危険を感じた小鉄氏がタイガーを制し、浜田のケガの具合を見ます。
タイガーのセコンドに付いていたゴッチもリングに上がり、浜田の流血の様子を見ます。
アクシデントにより試合が中断させられたことに、タイガーも納得がいかない表情を見せます。
リングドクターもリングに上がり、浜田の傷口をチェックしますが、試合続行不可能と判断しタイガーのレフェリーストップ勝ちとなりました。
見たところ、試合を止めるほどの流血だったかと言われると「?」となる流血だったため、ファンも納得いかない様子。せっかくの10周年記念大会でしたが、消化不良の試合となってしまいました。