それまでのプロレスのキックといえば、ストンピングやドロップキック、ジャイアント馬場やアンドレ・ザ・ジャイアントのビッグブーツなどの足裏で蹴るものがほとんどでした。

そこにムエタイ流の本格的なキックを持ち込んだのがタイガーマスクとされています。

タイガーマスクとしてデビューする前の若手時代に、キックボクシングのジムに通ってキックの技術を習得したタイガーは、海外武者修業時代もこのキックを使用しており、特にイギリス時代はブルース・リーの親戚の「サミー・リー」を名乗り、キックを主体としたファイトを見せていました。

デビュー戦でも、独特なムーブと共に、ミドル、ハイと使い分けるキックはファンに強烈な印象を与え、その後も試合の要所要所でキックを使用しており、「タイガー=キック」のイメージが定着していたのも事実です。

そんなタイガーが「3月14日の後楽園ホールで行われるキックボクシングのリングに上がり、ヘビー級のキックボクサーと対戦!」というニュースが舞い込んできたのです。

東京スポーツ 82年3月13日号
東京スポーツ 82年3月16日号

しかし、残念ながらタイガーの対戦相手に相応しい選手が見当たらず、クロネコとのエキシビジョンマッチとなったとのこと。

週刊ファイト 82年3月23日号 (新大阪新聞社)

試合の模様を報じた写真はおそらくこの1枚のみ。当時、タイガーの付き人をしていた山崎一夫選手がレフェリーをしていたことが分かります。

デラックスプロレス 82年5月号(ベースボール・マガジン社)

残念ながらその後もタイガーマスクとして引退するまでに異種格闘技戦の実現はならず。もしこの対戦が実現していたら、タイガーマスクとして初の異種格闘技戦となり、どんな試合展開になったのかとても興味深いです。