4月2日のワールドプロレスリングは前日の4月1日に蔵前国技館で行われたシリーズ最終戦を録画中継。タイガーはスティーブ・ライトとのWWFジュニアヘビー級タイトルマッチ、前夜祭で行われたタイトルマッチの再戦を行います。

ゴング 82年5月号(日本スポーツ出版社)
82年4月1日 蔵前大会
THE WRESTLER Vol.7 82年4月1日 蔵前大会
東京スポーツ 82年4月2日号

この日はタイガーとライトのタイトル戦とカーンとアンドレの優勝決定戦の2試合がオンエア。まずはタイガーの入場シーンが映し出されます。実況は古舘伊知郎アナ。

 
 
 

タイトルマッチのセレモニーの後、両者がコールされます。

 
 
 
 
 

試合開始から3分が経過した辺り、トリッキーな動きでリストロックから脱出するライトの姿から始まります。

 
 

首を極められたタイガーはボディスラムで脱出を試みますが、投げられたライトはクラッチを外しません。以後もこのような動きが度々見られ、タイガーは苦戦します。

 
 
 

ハーフボストンクラブからライトの執拗な足殺しが続きます。

 
 
 
 
 
 
 

何とか脱出しますが、すぐにライトに反撃されてしまいます。

 
 
 

またもやスリーパーホールドに捕らえられたタイガーは再びライトのネチネチした攻めに苦しめられます。

 
 
 

バックキックでスリーパーから脱出したタイガーはライトにダブルアームスープレックス。

 
 

しかし再びライトに捕まってしまいます。

 

ライトの股の下をくぐってスリーパーから逃れたタイガーは、インディアンデスロックに極めますが、これをライトが脱出。しかし足が絡み合って動けなくなってしまった両者は、レフェリーに解いてもらいます。

 
 
 

タイガーは打撃に活路を見出しますが、ライトもカチ上げ式のエルボースマッシュで反撃し、なかなかペースを掴めません。

 
 
 

馬乗りになったタイガーに足を絡めて反撃するライト。またもや足が絡まって膠着状態に陥ってしまい、またもやお互いに同意してレフェリーに足を解いてもらいます。

 
 

ここでライトはオクトパス・ホールド、ロメロ・スペシャル、サイドスープレックス。といった大技でタイガーを一気に攻め込みます。

 
 
 

前夜祭でも見られたモンキーフリップの応酬。

 
 
 

ロープに走ったライトにカウンターのサイドスープレックス。

 

これをキックアウトし、再びロープに走りボディアタックを狙ったライトでしたが、これをタイガーがキャッチしブロック・バスターを決め、タイガーがフォール勝ち。

 
 
 

ライトの粘っこい攻めに苦戦したタイガーでしたが、何とかタイトルを防衛し、防衛記録を5回に伸ばしました。

 
 
 
 

テレビ放送ではカットされていた試合開始から3分間ほどの攻防は、市販DVD「初代タイガーマスク~猛虎伝説~Vol1」等で見ることができますが、ここでもライトの芸術的な動きを見ることができます。また、後年放映されたCS版では、ライトがジャン=リュック・ポンティの「IS ONCE ENOUGH?」で入場してくるシーンも見られます。

 
 
 
 
 
 
 

この一戦は、ライトがタイガーに得意の空中殺法を使わせずに、タイガーが反撃してもすぐまたグラウンド技や関節技に持ち込むなど、タイガーが苦戦した試合として伝えられています。

最後はタイガーが勝利を納めたため、ファンとしては溜飲が下がる結果となり、『タイガーの今まで見られなかった一面が見られ見応えがあった』という声も聞かれます。

しかし、私がタイガーのファンということもありますが、今回改めて試合を見て感じたのは、ライトの試合はプロレスとしてはどうなのかなという点です。

プロレスとは魅せるレスリングという意味ではありますが、もちろんその根底にはやはり本物の強さ、本当の技術というものがあって当然だと思います。しかし、その技術をひけらかし、一方的に自分の強さを誇示して相手の良いところを封じてしまっているようなライトのスタイルには、私としては『?』がつきます。

好みの違いがあると思うので、これはあくまで私の個人的な見解とします。

これまでのワールドプロレスリングで、本来ならばタイトル戦を盛り上げるための前哨戦となるタイガーとライトが絡む試合が全くオンエアされなかったことも、こういったライトの試合スタイルが関係していたのかも知れません。

ちなみに後年のインタビューでも、佐山氏本人がやりにくかった相手にライトを挙げており、『若手時代から来日していた大先輩で、こちらとしては”イエッサー”みたいな意識がある』ことと、『自分勝手に動く』ことを理由に述べていました。

この後タイガーの引退まで、ライトが来日してタイガーと対戦することはありませんでした。