新日本プロレスにウルトラマンが登場し、(実力はともかく)チビッコファンに好評を博していた間に、全日本プロレスに、新しいマスクマン「ウルトラセブン」が登場します。
当時はタイガーの活躍で、ジュニア人気が爆発中。全日本もジュニア戦線を充実させようとしたのでしょう、大仁田厚のNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座奪取に続き、ウルトラセブン登場という企画を打ち出してきます。
週刊ファイト 82年5月11日号 (新大阪新聞社)
当時の練習生(?)にウルトラセブンのマスクを被せ、本来の正体である高杉正彦をマネージャー役として付かせ、「正体は高杉だろう」と予想していたファンを惑わすような、凝った演出で登場したウルトラセブン。
タイガー同様「テレビのキャラクターから現実へ」という点からも注目され、タイガーと比較されることもありました。
週刊ファイト 82年6月22日号 (新大阪新聞社)
セブンは7月2日、全日本の「サマーアクションシリーズ」開幕戦でデビュー。チャボ・ゲレロとタッグを組み、大仁田厚、石川隆士組と対戦。チャボが大仁田をジャーマン・スープレックス・ホールドで下し、勝利しています。
しかし、同4日の地方大会のタッグマッチで、レフェリーのミスで当時若手だった越中詩郎にセブンがフォール負け。同9日には大仁田のNWAインタジュニア王座に挑戦が決まっていたのですが、一介の若手にフォール負けを喫したということで、セブンの評価がガタ落ち。タイトルマッチも敗退。ポジション的にも前座・中堅辺りで、2シリーズ参戦してから、2シリーズは参戦せず(当時は外国人扱いなので”欠場”ではありませんでした)。
次の参戦は翌83年の1月シリーズで、マスカラスと組むこともありましたが特に扱いは変わらず、最終戦で全日本プロレス所属になりますが、その後は何人かいる中堅レスラーの一人として、特に大きなチャンスを与えられることもありませんでした。
全日本としてもどこまで売り出すつもりがあったのか分かりませんが、実力的にもタイガーのそれには全く敵わず、仕方がないことだったのかも知れません。