第5回MSGシリーズ終了後の4月8日~10日、新日本プロレスはアラブ首長国連邦のドバイで3連戦を行っています。

最終的に参加したレスラーは、日本人レスラーがアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、タイガーマスク、長州力、木村健吾、キラー・カーン、タイガー戸口、木戸修、藤原喜明、外国人レスラーがディック・マードック、バッドニュース・アレン、ダイナマイト・キッド、ブレット・ハート、コロソ・コロソッティ、カルロス・コロフとなります。

レスラー勢は4月7日に現地到着。トヨタ、セイコーがスポンサーに名を連ね、席の最高額は1万円強、アラブ首長国連邦のみならず、近隣の国にもテレビ中継が行われるということでした。

東京スポーツ 82年4月9日号

全試合シングルマッチのみで、タイガーは、ハートと2戦、キッドと1戦を行っています。

初日、タイガーはハートと対戦し勝利します。

東京スポーツ 82年4月11日号

第2戦ではキッドと対戦。この日の猪木はエキシビションマッチに出場。タイガーはメインに登場し、キッドに快勝しました。

そして最終戦では再びハートと対戦し、こちらも勝利を納め有終の美を飾っています。

東京スポーツ 82年4月13日号
東京スポーツ 82年4月13日号

週刊ファイトでは、2号に渡ってオフショットの写真を中心に大会をレポートしています。

週刊ファイト 82年4月27日号 (新大阪新聞社)
週刊ファイト 82年5月4日号 (新大阪新聞社)

「ザ・プロレス」紙は試合の写真をふんだんに使用。

ザ・プロレス 82年5月4日号 (東京スポーツ新聞社)

「ゴング」誌は試合レポートは無く、1ページの記事のみ。その中で、現地でもタイガーが大人気だったことを伝えています。

ゴング 82年6月号(日本スポーツ出版社)

「デラックスプロレス」誌も試合のリポートはされておらず、オフショットの写真が中心となっています。

デラックスプロレス 82年6月号(ベースボール・マガジン社)
デラックスプロレス 82年6月号(ベースボール・マガジン社)
デラックスプロレス 82年6月号(ベースボール・マガジン社)
デラックスプロレス 82年6月号(ベースボール・マガジン社)
デラックスプロレス 82年6月号(ベースボール・マガジン社)

このドバイ遠征は、当時のワールドプロレスリングでも放送されることが無く、基本的にテレビから情報を得ていた私は、どのような大会だったか、そもそもドバイ遠征があったことが知りませんでした(辛うじて「プロレススーパースター列伝」で知ったくらい)。

また、タイガー引退後の書籍でも、大きく取り上げられること無く詳細は不明でした。

今回、改めて検証してみると、何故か試合の写真が使われているのが東京スポーツと東京スポーツ系の「ザ・プロレス」紙のみで、他の専門誌(紙)はオフショットの写真しか使用していません。取材に行って試合の写真を撮らないということは考えられませんから、何か写真使用について権利の関係などがあったのでしょうか。それもドバイ遠征が大きく取り上げられない1つかも知れません。