「ブラディ・ファイト・シリーズ」の開幕を控えた8月中旬、東京スポーツに、興味深い記事が掲載されます。
なんと、従来の金曜夜8時から放送されている「ワールド・プロレスリング」とは別に、タイガーや藤波選手らジュニア・ヘビー級の試合を中心とした、「第2プロレス中継」の放映を、新日本プロレスがテレビ朝日に申し入れたというのです。
しかも、放映時間は土曜日夕方5時30分からの1時間。なんと、全日本プロレスの試合を放送していた日本テレビの「全日本プロレス中継」の裏番組にぶつけようというのです。
また「東京スポーツ」ならではの誇張記事か?と思いきや、「週刊ファイト」にも「第2プロレス中継」の記事が掲載されていたことから、全くのガセネタでは無いことが分かります(まあ、マスコミに対する新日側のリップサービスだったかも知れませんが…)。
当時の「ワールド・プロレスリング」では1時間の放送枠の中で、平均すると2~3試合ほどがオンエアされていました。90年代後半からはCS放送が普及、今はネット配信も一般的になり、1つの大会を第1試合からメインエヴェントまですべて見られるようになっていますが、当時はメインとセミファイナル、セミ前の試合くらいしか見られることができなかったのです。
もし、「第2プロレス中継」が実現していたとしたら、中継枠に収まらなかった好勝負も見られたかも知れませんし、なかなかオンエアされることのない若手や中堅選手の試合、来日してもテレビに映らない外国人選手の試合なども見ることができたかもしれません。
実現には至りませんでしたし、「全日本プロレス中継の裏番組に」というのはどこまで本気だったかは分かりませんが、当時のイケイケだった新日本プロレスを象徴している記事と言えるでしょう。
ちなみに、その後の「新日本プロレスブーム」と呼ばれている時代でも、新日本プロレスの「第2プロレス中継」は実現しませんでした。
ただ、ライバル団体の全日本プロレスがレギュラー放送とは別に「土曜ロータリー(土曜の午前中に日本テレビで放映されていた1時間の特別番組)」の枠の中で、「フレッシュ・ファイト」と銘打った若手の試合中心の番組を放映するということがありました。
これこそ全日本プロレスの「第2プロレス中継」。83年10月より月1回のペースで数ヶ月続いたようで、マッハ隼人やリスマルク、ウルトラセブン、三沢光晴といった、通常の中継枠に入らない前座の試合がオンエアされ、ファンにとってはたまらない番組でした。
かつて、裏番組にぶつけ、全日本プロレスの視聴者を奪おうとしていた新日本プロレスが、タイガー引退後、ブームにやや陰りが見えていた83年後半に、かつて後塵を拝していた全日本プロレスに先を越された形になったのは皮肉と言えますね。