秋田書店からは「大全科シリーズ」として、「プロレス大全科」が発刊されています。「大全科シリーズ」は他の「大百科」「大図鑑」と比べるとやや縦長になっており、差別化を図っているようです。
こちらも初版は1980年12月20日、タイガーのデビュー前ということで、もちろんタイガーの記事は載っていません。また、ジャイアント馬場の監修となっており、表紙に使用されているレスラーの写真が全て当時の全日本プロレスで活躍していたレスラーというのもやや露骨な感があります。
しかし、こちらの「プロレス大全科」はタイガーの写真が堂々と使われています。1983年6月15日の12版ですから、6~12版の間にタイガーのページに差し替えられたことになります。
追加されたタイガーのカラーページは2ページ。WWFジュニアヘビー級のベルトを腰に巻いたタイガーの写真は1982年1月28日のキッドとのタイトル戦の写真なので、それ以降の版で追加されたことになります。
ちなみにタイガーの写真に差し替えられる前は、国際プロレス勢の写真が掲載されていました。ちょうどタイガーの日本定着の時期と国際プロレスの崩壊が同時期だったため、国際プロレスに割かれていたページがタイガーにあてがわれた状態です。
モノクロページは、主に選手名鑑が掲載されており、外国人レスラーを「世界チャンピオン」「悪党レスラー」「技能派レスラー」…といったカテゴリーで紹介、そして日本人レスラーを団体ごと、全日本プロレス、新日本プロレス、国際プロレスの順で紹介していました。
しかし国際プロレスが崩壊してしまったため、国際のページは消滅。ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の「はぐれ国際軍団」は新日本プロレスのページに、マイティ井上、阿修羅原らの全日本入団組は全日本プロレスのページにしっかりと移されています。
ただ、グレート草津やマッハ隼人のように団体崩壊を機に海外へ主戦場を移したり廃業したりしたレスラーは未掲載、その分の6ページが、タイガーの紹介ページに差し替えられています。
国際プロレスの崩壊でちょうどページが空いていたとはいえ、当時の絶対的エースであったジャイアント馬場や猪木がそれぞれ1ページずつだったということから見ても、やはり他のレスラーに比べると別格の扱い、それだけタイガーの登場は衝撃的だったことがここからもうかがえます。
ちなみに新日本プロレスの若手として「佐山サトル」が紹介されていますが、「昭和53年にプロレス入り」となっており、同ページの前田明よりも後輩になっています。しかしこれは間違いですね。使っている写真も坊主頭で「いつのだよ!」って感じです。