「プロレススーパースター列伝」の単行本第10巻「タイガーマスク編」の第2弾が発売されます。
初版が1982(昭和57)年10月15日ですので、実際は8月頃の発売でしょうか。第9巻の発売が7月頃だとすると、2ヶ月連続での発売となります。
メキシコ遠征に行ったアントニオ猪木が、タイガーのメキシコでの海外武者修行時代を知るベテラン記者に出会い、当時の様子を知るところから始まります。
なんと、タイガーはメキシコ時代もマスクを被っており、「サミー・リー」を名乗っていましたが、そのベテラン記者が名付け親になり、リングネームを「ティグレ・エンマスカラド」英語でいう「タイガーマスク」に改名したというのです(笑)
また、メキシコにも劇画「タイガーマスク」に登場する悪役レスラー養成機関「虎の穴」ばりのレスラー養成機関があり、そこでティグレは修行をしていたそうです(笑)。
快進撃を続けるティグレに立ちはだかったのはブラック・ブロンコ(誰?)。そのブロンコとのタイトルマッチとの最中に、相手の罠にはまりティグレはマスクを剥がされてしまいます‼(笑)
しかし、その罠を予測していたティグレは、あらかじめ目元に歌舞伎役者が行うような隈取りを施しており、素顔が暴かれることはなかったというのです(笑)
その後は、リングネームを「ミスター・カンフー」に変え、よりカンフースタイルを主体にしたファイトで戦っていたのですが、ブロンコを痛めつけすぎたためメキシコにいられなくなり、イギリスに渡ることになったのです(笑)
そこでカンフーの前に立ちはだかったのが「マーク・テラー・ロッカ(マーク・ロコのこと)」で、ロッカとの対戦で自身の実力不足を知ったカンフーはカール・ゴッチに弟子入りしたそうです(笑)
そしてロッカとの再戦のためにイギリスに戻ったカンフーのもとに、新間寿氏から「タイガーマスク」への変身の依頼があり、それをカンフーが快諾しタイガーが誕生したということだそうです(笑)
ここで、当時話題にあがっていた「全日本プロレス」のNWAインターナショナルジュニア王者の大仁田厚の名前が出てきます。当時、新日本プロレスしか見ていなかった私は、ここで大仁田厚の存在を知りました。
ここで特筆すべきは、ドバイ遠征の模様。専門紙(誌)では扱われており、コアなファンは知っていましたが、ここでテレビ中継もなく専門紙(誌)など読んでいない一般的なファンもドバイ遠征があったことを知ることになります。
これも創作の部分。ブラック・タイガーは日本でしか存在しないキャラクターですからね。
最初に出てくるメキシコのベテラン記者ですが、今でもたまに飲み屋なんかにもいますよね。「オレが○○を育てた」といった話をするいかにも胡散臭い酔っ払いの親父さん(笑)
大抵の人は「はいはい」って感じで適当にあしらうところですが、その話に聞き入って簡単に信じてしまうアントンは、本当にピュアな人なんですね(笑)
なんて冗談はさておき、前半は梶原ワールド全開のストーリー展開となった10巻でした。素顔となり、海外武者修行時代の詳細が知られている今となってはツッコミどころ満載ですが、事実をそのままなぞったら簡単にタイガーの正体が「佐山サトル」だとわかってしまうわけで、そこを隠しながらドラマチックにストーリーを進めていく、さすが梶原センセーですね。