当時はMSGに登場するというのはある意味ステータスであって、そこにタイガーが登場したということ、そして米国のファンに衝撃を与えるような試合を見せることができたということで、多くの専門紙(誌)が扱っています。
まず、東京スポーツ紙では、試合当日の号でタイガーと藤波辰巳がMSGのリングに上がることを知らせています。
東京スポーツ紙と週刊ファイト紙では、藤波がWWFインターナショナルヘビー級王座を奪取した試合とタイガーがWWFジュニアヘビー級タイトルを防衛した試合を並べて報じています。
週刊ファイト 82年9月14日号 (新大阪新聞社)
ザ・プロレス紙はまず表紙に藤波とタイガーの控室の写真が使われており、中の見開き2ページで藤波とタイガーの試合を紹介しています。
ザ・プロレス 82年9月21日号 (東京スポーツ新聞社)
ザ・プロレス 82年9月21日号 (東京スポーツ新聞社)
別冊ゴング誌はモノクロ見開き2ページを使って報じています。
また、帰国したタイガーへのインタビューでは、MSG初登場について本人の口で語られています。
また、月刊ゴング誌では、「GONG GOSHIP」のコーナーで「MSGのリングに革命が起きた」のタイトルでタイガーのMSG初登場について触れています。
月刊プロレス誌では、カラー4ページを使って、ニューヨークの街中を歩くタイガーの様子と、藤波と共にベルトを肩にかけるタイガーの姿を、また、モノクロ3ページを使って試合の模様を報じています。
さらに本文の中でも、タイガーのMSG初登場の衝撃を伝えています。
デラックスプロレス誌では、古舘伊知郎アナやタイガー服部氏がそれぞれのコーナーでタイガーのMSG初登場の様子を報じています。
ビッグレスラー誌もカラー4ページに渡り、試合やバックステージの模様を伝えています。